猫もしゃくしもブログの時代。
特にひねりのない本名そのものの人もいれば、思い入れや思惑たっぷりのブログ名をつけている人もいる。
人の気を引くネーミングをするのはなかなか難しいものなのだが、そうでない名前もふと考えだすと結構考え込んでしまうものがある。特にそれが知り合いだったりすると、ぜひ聞いてみたくなる。
生活の中で電脳生活に割かれるパーセンテージが高くない私は、あまり人のブログに触れる機会も少ないのでブログ名の由来を聞く事もあまりないのだが、たまにふと聞いてみると結構興味深い。
ブログを設定して名前を決めるとき、コンピュータ画面のブランクの中で点滅するカーソルを見ながら、みんながどんな思考を進めるのか。その過程が想像できる。大して重要じゃないからこそ、なんとなく素のその人が垣間見えるような気がする。
かくいう私のブログ名「ポレジ」は、オーツのおかゆ、ポリッジの事だ。
欧米の食文化の中では、朝食としてかなり一般的で、とろとろに煮たオーツに牛乳を掛けてたべる。好みで蜂蜜を入れたりバナナなどのフルーツを入れる。
私がこれを知ったのは、メルボルンに住む前に生活していたベトナムでだ。
夫とはまだ恋人同士で、何もかもが楽しくて仕方なかった時期。トロピカルなイメージのベトナムとしては意外なようだが、私達のいた北の方は冬はかなり寒くなる。そんな寒い朝に早起きしていそいそとフォー(pho。米粉でできたうどん)を食べに行くのが、私たちの楽しみだった。そんなある日の朝、今日はちょっと趣向を変えようとバイクで少し遠いカフェへ行った。見た目は完全にベトナム風の作りで、テーブルもいすも小さかった。が、そのカフェを経営しているのが欧米人の夫を持つベトナムの女性で、出されるものはパンケーキやサンドイッチなど西のものだった。
そこで初めてのポリッジを食べたのだ。古ぼけてふちの掛けたお皿にアツアツのポリッジ。バナナと蜂蜜を多めに入れて、牛乳をたっぷりかける。
なぜか異様にそのポリッジが心に残っている。
なぜか異様においしかったような気がする。
メルボルンに来た初めの年、手紙代わりに「ポレジ」というミニニューレターのようなものを作って、家族友人に送っていた。
その名前を付けるとき、白い紙を前にしてしばらく考えているときふと思い浮かんだのが、あの寒い朝のポリッジだった。
呼びやすいように少し変えて、「ポレジ」と命名した。
このブログを設定するとき、点滅するカーソルを見ながらほとんど考えずに、このニュースレターの名前を継承する事にした。
それがこのブログの名前の由来。
2008年3月7日金曜日
自分の住む町に本屋がある
アメリカの作家、スチュワートダイベックの小品「ファーウェル」(「シカゴ育ち」所収)の中で、アメリカへ移住した老ロシア人教師が、シカゴのアパートの壁に以前すんでいた街の地図を貼っていた。
その地図には幾つもの丸印がついていて、それは美味しいパン屋を印したものだった。
その「美味しいパン屋」は彼が故郷を捨てたときに失った物の象徴なのだ。
住む町を選ぶ際に、いろいろと人によってこだわりがある。
家や周辺の物価という現実的なことから始まって、この老教師のように美味しいパン屋がないとだめな人もいるだろうし、海が近くにないと精神の均衡がとれなくなる人だっていると思う(たぶん)。
ある漫画家が、お金はないけど本は山のように読みたいからと、家を探す条件にまず図書館が近いことをあげていた。
と、こんなことを考えたのも近所で唯一、いや、私のすむ州で唯一の利用したいと思える本屋が今月で閉まってしまうからなのだ。
英語の本と日本語の本の古本屋で、日本語の本は冊数こそ膨大ではないがきちんと選ばれた本が並ぶ貴重な本屋だった。
自分の住む町に本屋がある。
これは思っていたより、格段に私の生活を楽しくさせていた。
足しげく通うわけではないが、ふと時間が空いた時にその本屋を思い出し、行ってみる。
そういう場所が存在しているという事が、案外大事なのだ。
老ロシア人教師の「美味しいパン屋」ほどではないにしろ、やはり何かを損なったという感じは否めない。
ただし))日本語の本に関しては、オーナーの素晴らしい心意気でオンラインショップでの購入が可能。まだ実際本を手に入れる事が出来るという意味で嬉しい。
それはそれとして、やっぱり「場」としての本屋がなくなるのは悲しい、というのはあまりにも狭量だろうか?
その地図には幾つもの丸印がついていて、それは美味しいパン屋を印したものだった。
その「美味しいパン屋」は彼が故郷を捨てたときに失った物の象徴なのだ。
住む町を選ぶ際に、いろいろと人によってこだわりがある。
家や周辺の物価という現実的なことから始まって、この老教師のように美味しいパン屋がないとだめな人もいるだろうし、海が近くにないと精神の均衡がとれなくなる人だっていると思う(たぶん)。
ある漫画家が、お金はないけど本は山のように読みたいからと、家を探す条件にまず図書館が近いことをあげていた。
と、こんなことを考えたのも近所で唯一、いや、私のすむ州で唯一の利用したいと思える本屋が今月で閉まってしまうからなのだ。
英語の本と日本語の本の古本屋で、日本語の本は冊数こそ膨大ではないがきちんと選ばれた本が並ぶ貴重な本屋だった。
自分の住む町に本屋がある。
これは思っていたより、格段に私の生活を楽しくさせていた。
足しげく通うわけではないが、ふと時間が空いた時にその本屋を思い出し、行ってみる。
そういう場所が存在しているという事が、案外大事なのだ。
老ロシア人教師の「美味しいパン屋」ほどではないにしろ、やはり何かを損なったという感じは否めない。
ただし))日本語の本に関しては、オーナーの素晴らしい心意気でオンラインショップでの購入が可能。まだ実際本を手に入れる事が出来るという意味で嬉しい。
それはそれとして、やっぱり「場」としての本屋がなくなるのは悲しい、というのはあまりにも狭量だろうか?
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