アメリカの作家、スチュワートダイベックの小品「ファーウェル」(「シカゴ育ち」所収)の中で、アメリカへ移住した老ロシア人教師が、シカゴのアパートの壁に以前すんでいた街の地図を貼っていた。
その地図には幾つもの丸印がついていて、それは美味しいパン屋を印したものだった。
その「美味しいパン屋」は彼が故郷を捨てたときに失った物の象徴なのだ。
住む町を選ぶ際に、いろいろと人によってこだわりがある。
家や周辺の物価という現実的なことから始まって、この老教師のように美味しいパン屋がないとだめな人もいるだろうし、海が近くにないと精神の均衡がとれなくなる人だっていると思う(たぶん)。
ある漫画家が、お金はないけど本は山のように読みたいからと、家を探す条件にまず図書館が近いことをあげていた。
と、こんなことを考えたのも近所で唯一、いや、私のすむ州で唯一の利用したいと思える本屋が今月で閉まってしまうからなのだ。
英語の本と日本語の本の古本屋で、日本語の本は冊数こそ膨大ではないがきちんと選ばれた本が並ぶ貴重な本屋だった。
自分の住む町に本屋がある。
これは思っていたより、格段に私の生活を楽しくさせていた。
足しげく通うわけではないが、ふと時間が空いた時にその本屋を思い出し、行ってみる。
そういう場所が存在しているという事が、案外大事なのだ。
老ロシア人教師の「美味しいパン屋」ほどではないにしろ、やはり何かを損なったという感じは否めない。
ただし))日本語の本に関しては、オーナーの素晴らしい心意気でオンラインショップでの購入が可能。まだ実際本を手に入れる事が出来るという意味で嬉しい。
それはそれとして、やっぱり「場」としての本屋がなくなるのは悲しい、というのはあまりにも狭量だろうか?