2010年1月18日月曜日

寝かせてくれ

活字中毒(日本語)なので、暇があれば(なくても)何かを読んでいる。
寝る前の読書は至福の一時。
だが、注意して本を選ばないとその後眠れなくなる。

上手なミステリーは、単純に危険。
先が知りたいばっかりに、一晩で完読してしまうこともよくある。
べたで申し訳ないけど、やっぱり宮部みゆきはかなり高度なストーリーテラーだ。

あとはなぜか「やる気」が出てしまうもの。
ゆったりと落ち着かなくてはいけないのに、明日への活力になってしまうようなもの。
星野道夫のおっとりとした語り口の中にある、彼の人生への情熱は、どうしても私の「やる気」を刺激するので、危険だ。

最後に、深い思考に連れ去られるもの。
とにかく、「生きるってなんだ、、、」的に普段の生活を顧みさせられるような作品。
村上春樹。やつの作品は確実に私を深い思考への旅へと引きずり込む。
彼の緻密な観察眼と正確な言葉選びでなされる描写が、普段無意識下に潜む思考を刺激して、出るはずもないこの感覚への言語化を促す。
危険なやつだ。

逆に安心して眠りにつけるのが山本周五郎。
定型のようでいて、実はかなり大胆な物語で楽しませてくれる。
村上春樹のように答えを曖昧にせず、はっきりきっぱりと彼の考えを物語の中で示してくれる。勧善懲悪のような単純な話でないのに、作者の思いが分かりやすく、またその答えも愛に満ちているので、気分よく眠りにつける。

おまけに。
東海林さだおのエッセイ集は、3、4章目くらいから飽きて来て、「ふわあ〜。もういいか、ねるか〜。」となるので、ある意味最高の本かもしれない。

2010年1月12日火曜日

英語の日本語表記

父親がよく娘達に日本語の本を送ってくれる。
今日も大きな箱が届いた。ありがたい事だ。

ところで、最近の子供向けの本で英語が併記されおり、その英語にはふりがながついている。
より英語の発音に近づけようという事なのだろう、今までのカタカナ表記とはひと味違う。
例えばしまうま。「ゼブラ」ではなくて、「ズィーブラ」。いるかは「ドルフィン」ではなく「ドウフィン」。
なるほどというものもあるが。首を傾げるようなのも多い。

今日届いた本に「ABCのうた」というのがあって、そのカタカナのふりがなを見た。
英語圏に住んでいるからと言って、その年数がだんだん長くなって来たからといって、決して英語が上手ではないのだ。だから英語かぶれにならないようにと思っている。重箱の隅をつつくように、日本での変な英語をいちいち指摘するような、嫌らしい大人にはなりたくないと常々思っている。
が、しかし。

「エイ ビイ  のうた」

、、、。これはちょっと見逃せないのではないか。それともこれはこれで正しいのだろうか。悩む。悩んでしまう。ABC ABC C C C。何度も発音してしまう。
Cは「シー」でないのは確かなのだが、、、。「スィ」だって、どうなんだ。
そもそも英語に比べて圧倒的に子音の少ない日本語を表記するのは、無理がある話しなのだ。

関係ないが、暢気者の母親が昔「うれすぃー(うれしい)」とか「かなすぃー(かなしい)」と冗談で言っているのを聞いていた父親が「やめんか、気持ち悪い!」と怒っていたのを思い出した。
今ならなんか分かりますよ、お父さん。

2010年1月3日日曜日

たまには非日常の場所を思い出したい





クリスマスから年末まで、夫の妹とおばあちゃんを訪ねて、タスマニアへ行って来た。
基本的には義妹のうちに泊まらせてもらっていたのだけれど、一泊だけクレイドルマウンテンへ行って来た。

夫(タスマニア出身):「タスマニアのフジサンだな。うん。」
私(日本出身)   :「‥‥ほんと?」
夫:「と、言われている。」
私:「‥‥だから、ほんと?」
夫:「と、思ってるのは僕だけ、だと思う。」

アホな夫のコメントはともかくとして、タスマニアの中ではかなり有名な場所だ。
日本人にも結構高い割合で出会った。
観光地として有名なだけあって、いろいろ観光客のコンディションに合わせて選べるハイキングコースがある。まだベビーカーの必要な子供がいる私たちにはありがたい「段差なしコース」もあった。

有名な観光地とは言っても、人口密度の低いオーストラリアのこととて、
割合人が多いのに狭苦しい感じが全くしない。
雄大な自然は雄大なまま存在していた。

日々の生活に忙殺される中、あの湖の存在を思い出すだけで、はっとする。