クリスマスプレゼント、こちらに来てオーストラリア人の家族をもって一番めんどくさいと思う事。
趣味が全く違う義理の家族に贈るプレゼントを考えるほど、困難な事はない。しかも毎年違うものを。
逆に、全く欲しくないものをもらうのも困ってしまう。もともと貧乏性なので、こんなのに(失礼)こんなにお金をかけちゃって、、、と思ってしまうのだ。
ただし、今年義理の両親からもらったものには、やられたなーと思った。多分今までもらったプレゼンのなかでもダントツなんじゃないだろうか。
それは、一枚のカード。だけどただのクリスマスカードじゃなくて、「2匹のヤギをバングラデイシュのとある家族に贈りました」と書かれたもの。説明では、とある村で一番貧しい家族に、義理の両親が寄付したお金で買ったヤギ2匹が贈られたらしい。その子ヤギからミルクを取って生活費の足しにすると書いてあった。
カードの表紙には、赤い布をまとった女性がにっこり笑って贈り物のヤギを抱いている。
毎年毎年クリスマスのために消費される膨大なお金に対して(個人的なというよりは社会行事として)、何とも無駄なと感じていたのだけれど、そのお祭り騒ぎの一部が、必要な人に必要なものが還元されているかと思うと、ちょっとほっとする。多分多少の罪悪感の慰めも含めて。
と、やや感傷的になっている私の脇で、義父と夫はなんともくだらない会話を交わしていた。
夫 「いいよねー。君は一番貧しいから2匹のヤギをプレゼントします、なんて。」
義父「なあー。だれか僕らにもそういうのしてくれないかな。突然、クリスマスの日に誰かが来て、はいこれは誰々からの寄付で買ったコンピュータです。どうぞ。なんて。」
夫 「いいねー。」
、、、。全く罰当たりな親子だ。
2007年12月24日月曜日
中年とファストフード
20代のなかば、居酒屋ではないお酒を飲むところに年上の知り合いに連れて行ってもらった時。
場慣れしないから、座り心地のいいはずの椅子にもなんだか据わりが悪く、美味しいはずの料理もスポンジで出来た舌で味わうようだった。
何度か行くにつれ勝手が分かるようになり、よく作られた椅子は居心地よくなってきたし、料理も味わえるようになった。年齢を重ねた事もあって、友人は「板についてきたねえ」と冗談まじりに、その「慣れ」を確認した。
大学に入りたての頃。喫茶店へ一人で入るも、何を飲んでいいのかわからずメニューを熟読し注文までやたらと時間がかかった。いざコーヒーがテーブルにきても落ち着かず15分くらいで出てきた。大学を出る頃には1時間近くひとりの時間を過ごせるようになっていた。
年と経験を重ね「板についた」ことが増える一方で、下手になっていく事もある事に先日気がついた。
ファストフードでの注文。
まだ小さい子供には食べさせたくないし、普段は特に食べたいとも思わないので行かない。だけど子供を預けて仕事に行く途中、ふとファストフード店の前を通りかかった。お昼を食べなくては行けない時間だったし、久しぶりにと思って入ってみた。
国が違う事もあるのだけれど、どんな風に注文していいのか分からない。後で知ったのだけど、ハンバーガーとフライドポテトと飲み物の組み合わせは、日本では「セット」呼ぶが、こちらでは店によって独自の呼び方があるらしい。某店では「ミール」、某店では「コンボ」。
もうすっかりおばちゃん丸出しで、「だから、バーガーとお、チップスとお、、」と若い店員に注文していると、隣のレジに並んでいた中年のおじさんが、よどみなく注文を始めた。「XXXコンボ」「ポテトをサイズアップで」。「飲み物は何にしますか」という店員の質問が終わらないうちに、すかさず「ペプしマックス」と言い放った。
その鮮やかさ。同じものを注文するのに倍の時間を要し汗だくになっている私。目を見張っておじさんを見た。
「かっこわるい、、、」
もちろん汗をかきかき注文している私もかなりかっこわるいのだが、いい年をしてファストフードを注文し慣れてる彼のかっこわるさも相当なものだった。
「年相応」。もちろんいろんな但し書き付きでだが、この言葉は、正しかった。
場慣れしないから、座り心地のいいはずの椅子にもなんだか据わりが悪く、美味しいはずの料理もスポンジで出来た舌で味わうようだった。
何度か行くにつれ勝手が分かるようになり、よく作られた椅子は居心地よくなってきたし、料理も味わえるようになった。年齢を重ねた事もあって、友人は「板についてきたねえ」と冗談まじりに、その「慣れ」を確認した。
大学に入りたての頃。喫茶店へ一人で入るも、何を飲んでいいのかわからずメニューを熟読し注文までやたらと時間がかかった。いざコーヒーがテーブルにきても落ち着かず15分くらいで出てきた。大学を出る頃には1時間近くひとりの時間を過ごせるようになっていた。
年と経験を重ね「板についた」ことが増える一方で、下手になっていく事もある事に先日気がついた。
ファストフードでの注文。
まだ小さい子供には食べさせたくないし、普段は特に食べたいとも思わないので行かない。だけど子供を預けて仕事に行く途中、ふとファストフード店の前を通りかかった。お昼を食べなくては行けない時間だったし、久しぶりにと思って入ってみた。
国が違う事もあるのだけれど、どんな風に注文していいのか分からない。後で知ったのだけど、ハンバーガーとフライドポテトと飲み物の組み合わせは、日本では「セット」呼ぶが、こちらでは店によって独自の呼び方があるらしい。某店では「ミール」、某店では「コンボ」。
もうすっかりおばちゃん丸出しで、「だから、バーガーとお、チップスとお、、」と若い店員に注文していると、隣のレジに並んでいた中年のおじさんが、よどみなく注文を始めた。「XXXコンボ」「ポテトをサイズアップで」。「飲み物は何にしますか」という店員の質問が終わらないうちに、すかさず「ペプしマックス」と言い放った。
その鮮やかさ。同じものを注文するのに倍の時間を要し汗だくになっている私。目を見張っておじさんを見た。
「かっこわるい、、、」
もちろん汗をかきかき注文している私もかなりかっこわるいのだが、いい年をしてファストフードを注文し慣れてる彼のかっこわるさも相当なものだった。
「年相応」。もちろんいろんな但し書き付きでだが、この言葉は、正しかった。
2007年12月14日金曜日
かたつむり

ここに住んでいると、「日本と同じぽいけど微妙に日本じゃない」ものにあう。
食べ物なら、甘すぎるテリヤキ、コシのないうどん、酢の味がしないのり巻きなど。
生き物もものによっては、同じ形なんだけどなんだかでかい気がする。
特に最近思ったのがカタツムリ。日本にも大きいカタツムリは当然居るのだけど、こちらでみるのはサイズの平均値が微妙に高い気がする。
庭にもごろごろいるのだけれど、柄も日本のものに比べて色濃く不気味だ。
娘のなかでは、この不気味な生き物が大フィーバーのようで、回らない舌で「カタムリどこー?」とつぶやきながら庭を徘徊する。そして、見つけては腕にのせて得意げに、報告に来る。
娘の小さい体が、このカタツムリの大きさを強調してなんだかホラー映画でも見ているような気分になってくる。
2007年11月29日木曜日
迷い犬
迷い犬を見つけた。
買い物の帰りに、風に舞う白いビニール袋を追って黒い小さな犬が、曲がり角からびよんと飛び出してきた。
首輪をしていたし、私の住んでいるあたりでは野良犬を日常的に見る事はないので、どこかから脱走してきたのだろう。あまり家から外に出た事がないのか、車に気をつけなくてはいけないという緊張感が低そうな犬だ。周りに犬を探している風な人もいないので捕まえて家に帰った。
夫は早速写真を撮って「犬見つけました」の」張り紙を作って、近所に5枚ほど貼った。娘は大喜びで一緒に転げ回っていた。犬と一緒に草むらに飛び込み、ボールを追い、しまいには水まで飲もうとしていた。チワワなので身長86センチの娘にはサイズがちょうどいいらしく、胸に抱えて歩き回っていた。
30度近くあった日で、日差しが強かった。飛び出したような大きな目の犬が私たちを見上げて目を細めた姿は、スターウオーズのキャラクターにそっくりだ。世話のめんどくささから動物はちょっとと考えていた私も、その面白い姿に「いてもいいかな」と思い直しそうだった。
が、幸か不幸か、後から思えばやっぱり幸なのだけど、その日の夕方には飼い主から連絡があり引き取られていった。
娘は犬がいなくなった事がよくわからないらしく、「いぬどこ?』を連発し、「あとで(帰ってくるね)」と一人納得していた。それを見た夫は、娘の不憫さと犬への想いで、目を潤ませていた。
暑い週末に起こった、小さな事件。
買い物の帰りに、風に舞う白いビニール袋を追って黒い小さな犬が、曲がり角からびよんと飛び出してきた。
首輪をしていたし、私の住んでいるあたりでは野良犬を日常的に見る事はないので、どこかから脱走してきたのだろう。あまり家から外に出た事がないのか、車に気をつけなくてはいけないという緊張感が低そうな犬だ。周りに犬を探している風な人もいないので捕まえて家に帰った。
夫は早速写真を撮って「犬見つけました」の」張り紙を作って、近所に5枚ほど貼った。娘は大喜びで一緒に転げ回っていた。犬と一緒に草むらに飛び込み、ボールを追い、しまいには水まで飲もうとしていた。チワワなので身長86センチの娘にはサイズがちょうどいいらしく、胸に抱えて歩き回っていた。
30度近くあった日で、日差しが強かった。飛び出したような大きな目の犬が私たちを見上げて目を細めた姿は、スターウオーズのキャラクターにそっくりだ。世話のめんどくささから動物はちょっとと考えていた私も、その面白い姿に「いてもいいかな」と思い直しそうだった。
が、幸か不幸か、後から思えばやっぱり幸なのだけど、その日の夕方には飼い主から連絡があり引き取られていった。
娘は犬がいなくなった事がよくわからないらしく、「いぬどこ?』を連発し、「あとで(帰ってくるね)」と一人納得していた。それを見た夫は、娘の不憫さと犬への想いで、目を潤ませていた。
暑い週末に起こった、小さな事件。
2007年11月16日金曜日
ドラえもん
2007年11月7日水曜日
好きな作家を共有する
本が好きだと公言していると、時々同じ本の虫に出会う。で、本の趣味まで合ってしまったりするとかなり嬉しい。日本語の本を手に入れるのが比較的難しい環境だと、お互い持っている本が交換できるというのは非常にありがたい。しかも趣味が似ていても、全く同じ本を持っている事はまれで、たいがい同じテイストででも今まで知らなかった作家の発掘が出来てしまったりもする。
こういう友人は、新作が出るととりあえず買ってしまう作家と同じぐらい貴重だ。
お互い交換した本について、あーでもないこーでもないと言い合うのもまた、楽しい。自分のなかでどう評価していいか迷う作品なんかは、是非読んでもらって意見されたい。
自分の持っている本をどんどん貸して、どんどん感想を聞きたい。と、思う一方で、自分の好きな作家が他の人の中で育っていくのを見ていると、一抹の寂しさがある。しかも自分では上手く表現できなかった、その作家や作品について的確に表現されたりすると、もやが晴れるようなさわやかさとともに、身悶えするような悔しさも覚える。大事に大事に手をかけて育てた子供が、社会の中で独り立ちしていくような、無力感。確かに自分の知っている子なのに、自分以外の人によって違う色を持つ。
それこそまさに、私がしたい事なのに、なぜか悲しい。
こういう友人は、新作が出るととりあえず買ってしまう作家と同じぐらい貴重だ。
お互い交換した本について、あーでもないこーでもないと言い合うのもまた、楽しい。自分のなかでどう評価していいか迷う作品なんかは、是非読んでもらって意見されたい。
自分の持っている本をどんどん貸して、どんどん感想を聞きたい。と、思う一方で、自分の好きな作家が他の人の中で育っていくのを見ていると、一抹の寂しさがある。しかも自分では上手く表現できなかった、その作家や作品について的確に表現されたりすると、もやが晴れるようなさわやかさとともに、身悶えするような悔しさも覚える。大事に大事に手をかけて育てた子供が、社会の中で独り立ちしていくような、無力感。確かに自分の知っている子なのに、自分以外の人によって違う色を持つ。
それこそまさに、私がしたい事なのに、なぜか悲しい。
2007年11月2日金曜日
日本の年越し
11月になった。毎年毎年飽きもせずこの時期になると「早いなあ、一年って」とつぶやいている。
昔から年の変わる瞬間が好きだ。その年の恥や怠惰や傲慢や欲などが108以上の煩悩とともにすべて許される、あるいはなかった事にされるようで、清々しい。寒い家の外を思い浮かべながら暖かい部屋で、しみじみするのは何とも言えない味わいがある。
日本にいる時は、徐々にきつくなる寒さに促されて年を越すぞと気合いを入れていた。だけど、なにせオーストラリアではだんだん暖かくなってくるので気分が緩んでしまって、あれよあれよと流され気がつくと年が変わっているのだ。「あー夏本番だなあ」などといいながら海岸を歩いていると、2006年は2007年になっているのだ。
4年目のオーストラリア、季節が日本と同じではないのは分かっている。その原理も分かっているし、第一今更そんな事を話題にするのもなんだか恥ずかしい。と、いうよりオーストラリア初心者の様でちょっと悔しい気持ちもある。
クリスマスが暑いのにも慣れた、8月に暖房費が上がるのにも慣れた、自分の誕生日が真夏なのにも慣れた。
だけど、寒くない暮れと正月は、やっぱり寂しい。
池澤夏樹の短編で、日本人の男性とロシア人の女性のカップルが離婚するという話があった。彼らは日本に住んでいたが、彼女の「ロシアの空気がなければ生きていけないのよ」という理由で離婚する。
離婚してまで帰りたいというほど強く日本に惹かれないのだけれど、年末年始のあの荘厳な空気を思い出すとき、この彼女の言葉はひしひしと実感を持って心に迫ってくる。
昔から年の変わる瞬間が好きだ。その年の恥や怠惰や傲慢や欲などが108以上の煩悩とともにすべて許される、あるいはなかった事にされるようで、清々しい。寒い家の外を思い浮かべながら暖かい部屋で、しみじみするのは何とも言えない味わいがある。
日本にいる時は、徐々にきつくなる寒さに促されて年を越すぞと気合いを入れていた。だけど、なにせオーストラリアではだんだん暖かくなってくるので気分が緩んでしまって、あれよあれよと流され気がつくと年が変わっているのだ。「あー夏本番だなあ」などといいながら海岸を歩いていると、2006年は2007年になっているのだ。
4年目のオーストラリア、季節が日本と同じではないのは分かっている。その原理も分かっているし、第一今更そんな事を話題にするのもなんだか恥ずかしい。と、いうよりオーストラリア初心者の様でちょっと悔しい気持ちもある。
クリスマスが暑いのにも慣れた、8月に暖房費が上がるのにも慣れた、自分の誕生日が真夏なのにも慣れた。
だけど、寒くない暮れと正月は、やっぱり寂しい。
池澤夏樹の短編で、日本人の男性とロシア人の女性のカップルが離婚するという話があった。彼らは日本に住んでいたが、彼女の「ロシアの空気がなければ生きていけないのよ」という理由で離婚する。
離婚してまで帰りたいというほど強く日本に惹かれないのだけれど、年末年始のあの荘厳な空気を思い出すとき、この彼女の言葉はひしひしと実感を持って心に迫ってくる。
2007年10月23日火曜日
記憶の役目
先日父親が、出張でベトナムへ行ってきた。
体調もあまり良くなかったようで、行く前はかなり憂鬱そうだったが、帰ってきてから話した声はむしろ元気そうだった。
昔からなんだかんだいいながら、なんでも上手く乗り切っていく人なのだ。
それはそれとして、父の話すベトナムの風景は以前ハノイに暮らしていた時のことを思い出させて、懐かしかった。
と、思っていた次の日に、30度を超える暑い日になった。
湿気の多いベトナムとここの乾燥した暑さとは、随分違う。だけど、その日は夕方から雨の気配がしてきて、湿気って生暖かい風が吹いてきた。結局雨は降らず、思わせぶりな雰囲気が漂っただけだったけど、ベトナムのだるい午後を思い出させるには十分だった。
結婚もせず、子供もいず、あくまで独り(だと思っていた)の日々。
振り返る価値のある、心地のいい記憶。そういう記憶があるから、今もこれからも生きていけるような気がするのだ、と、思う。
「私はね、よく昔の事を考えるの。こうして日本中逃げ回るようになってからは、とくにね。それでね、一生懸命思い出そうと努力してると、いろんな記憶がけっこうありありとよみがえってくるもんやねん。ずっと長いあいだ忘れてたことが、なんかの拍子にぱっと思い出せたりするわけ。それはね、なかなか面白いんよ。人間の記憶ゆうのはほんまにけったいなもので、役にも立たんような、しょうもないようなことを、引き出しにいっぱいつめこんでいるもんなんよ。現実的に必要な大事なことはかたっぱいから忘れていくのにね」
村上春樹「アフターダーク」より
体調もあまり良くなかったようで、行く前はかなり憂鬱そうだったが、帰ってきてから話した声はむしろ元気そうだった。
昔からなんだかんだいいながら、なんでも上手く乗り切っていく人なのだ。
それはそれとして、父の話すベトナムの風景は以前ハノイに暮らしていた時のことを思い出させて、懐かしかった。
と、思っていた次の日に、30度を超える暑い日になった。
湿気の多いベトナムとここの乾燥した暑さとは、随分違う。だけど、その日は夕方から雨の気配がしてきて、湿気って生暖かい風が吹いてきた。結局雨は降らず、思わせぶりな雰囲気が漂っただけだったけど、ベトナムのだるい午後を思い出させるには十分だった。
結婚もせず、子供もいず、あくまで独り(だと思っていた)の日々。
振り返る価値のある、心地のいい記憶。そういう記憶があるから、今もこれからも生きていけるような気がするのだ、と、思う。
「私はね、よく昔の事を考えるの。こうして日本中逃げ回るようになってからは、とくにね。それでね、一生懸命思い出そうと努力してると、いろんな記憶がけっこうありありとよみがえってくるもんやねん。ずっと長いあいだ忘れてたことが、なんかの拍子にぱっと思い出せたりするわけ。それはね、なかなか面白いんよ。人間の記憶ゆうのはほんまにけったいなもので、役にも立たんような、しょうもないようなことを、引き出しにいっぱいつめこんでいるもんなんよ。現実的に必要な大事なことはかたっぱいから忘れていくのにね」
村上春樹「アフターダーク」より
2007年10月18日木曜日
恥ずかしながら、好きなテレビ番組
あまり熱心にテレビを見る方ではないのだけれど、もうかぶり付きで見てしまう番組が一つだけある。
アメリカの番組で、オーストラリアで放送されているもの。' So you think you can dance'。
形式としては、一般公募でダンサー(プロアマ問わず)を募集審査し、何名か忘れたけど最終メンバーとして残される。
そのメンバーがペアになって、毎週ランダムに与えられる課題のダンスを踊り、そのダンスを見た人々からの投票を経て毎週一人ずつ脱落していき、最後のベストダンサーを選ぶというもの。
作りとしてはありふれたものなのだけど、いろんなジャンルからのダンサーたちが違うジャンルに挑戦するのは興味深い。
また、シリーズ物の狙いなのだろうけど、毎回見ているとそれぞれの人物のキャラクターが浮かんできて、贔屓のダンサーが出来てくる。ぐんぐん腕を上げてくるものもいれば、伸び悩むまま脱落するものもいる。振り付け師の重要性もはっきりみえる。
何よりも、アメリカ的な極端な緊張感というか集中力にポジティブな力強さを感じる。
だいたい私はセミプロのダンスが大好きなのだ。
プロになりたいという切羽詰まった真剣さと、それをもろに出さず優雅に、楽しく、美しく踊る。
そのぎりぎりのところで行われる表現が、たまらなくエキサイティングだ、と思う。
アメリカの番組で、オーストラリアで放送されているもの。' So you think you can dance'。
形式としては、一般公募でダンサー(プロアマ問わず)を募集審査し、何名か忘れたけど最終メンバーとして残される。
そのメンバーがペアになって、毎週ランダムに与えられる課題のダンスを踊り、そのダンスを見た人々からの投票を経て毎週一人ずつ脱落していき、最後のベストダンサーを選ぶというもの。
作りとしてはありふれたものなのだけど、いろんなジャンルからのダンサーたちが違うジャンルに挑戦するのは興味深い。
また、シリーズ物の狙いなのだろうけど、毎回見ているとそれぞれの人物のキャラクターが浮かんできて、贔屓のダンサーが出来てくる。ぐんぐん腕を上げてくるものもいれば、伸び悩むまま脱落するものもいる。振り付け師の重要性もはっきりみえる。
何よりも、アメリカ的な極端な緊張感というか集中力にポジティブな力強さを感じる。
だいたい私はセミプロのダンスが大好きなのだ。
プロになりたいという切羽詰まった真剣さと、それをもろに出さず優雅に、楽しく、美しく踊る。
そのぎりぎりのところで行われる表現が、たまらなくエキサイティングだ、と思う。
食が与える影響
おいしいものは人を幸せにしてくれる。
例えばとても疲れている時に丁寧に入れたおいしいお茶が、心の底からくつろがせてくれる。
例えばおいしい料理が、パーティーや友達とのランチを盛り上げてくれる。
先日、異常に寒い日に、体を温めようと入ったカフェでの事。
店内にはやたらと愛想のいいアジア人のおやじと、おそらくその奥さんでおろうおばさん。それに、いかにも仕事のできなそうなアジア人の女の子がいた。外装はオーストラリアの何処にでもある軽食屋なのだが、この3人の醸し出す雰囲気がなんとなく異様だった。
移民の多いここでは、アジア人がやっているウエスタンなお店は当然珍しくないのだけど、この店は何とも言いがたいアンバランスな空気に包まれていた。中国の片田舎ではやらない飲食店をやっている家族が、そのままオーストラリアに来てしまったような、そんな感じ。
だけど、ショーケースに並ぶ食べ物は特に不審ではなく、店内も不衛生ではないのでカフェラテとチキンラップを注文した。
で、ややあって出されたもののまずさ。
コーヒーが、まずい。マシーンは何処にでもあるものなので豆が問題なのだろうか。
ミルクとコーヒーは混ざっているのに、口に入れるとそれぞれの味が分離してするの。コーヒーもおいしいところではなく、それ以外のところを抽出したような味だ。
気を取り直して、ラップを口にしたところなぜか酒の香りがした。まさかと思ってもう一口かじると今度は、ほのかにカビの香りがした。もしかしたらチーズの風味なのかもしれないと思い、注意深く咀嚼してみたが、かびであるという確信はひと噛みごとに深まっていく。
食べ物を粗末にするのは大嫌いだし、多少まずくてもたいてい食べ終えるのだが、これはだめだった。
コーヒー2口。ラップ1口。これが限界。
寒さも癒えないまま、そそくさと出口に向かった。店を出る直前に例のおばさんと目が合った。なにを語らんやの目つきだったが、何かは分からなかった。ただの一瞥だったのかもしれない。
その日はなぜか一日気分が暗かった。なにかにつけ、あのまずいコーヒーとラップが思い出されて、憂鬱になった。
おいしい食べ物が人を幸せにするように、まずい食べ物が人の気持ちをこんなにも打ちのめすなんて、知らなかった。
あらためて、食と感情の関係の深さを思い知った日だった。
例えばとても疲れている時に丁寧に入れたおいしいお茶が、心の底からくつろがせてくれる。
例えばおいしい料理が、パーティーや友達とのランチを盛り上げてくれる。
先日、異常に寒い日に、体を温めようと入ったカフェでの事。
店内にはやたらと愛想のいいアジア人のおやじと、おそらくその奥さんでおろうおばさん。それに、いかにも仕事のできなそうなアジア人の女の子がいた。外装はオーストラリアの何処にでもある軽食屋なのだが、この3人の醸し出す雰囲気がなんとなく異様だった。
移民の多いここでは、アジア人がやっているウエスタンなお店は当然珍しくないのだけど、この店は何とも言いがたいアンバランスな空気に包まれていた。中国の片田舎ではやらない飲食店をやっている家族が、そのままオーストラリアに来てしまったような、そんな感じ。
だけど、ショーケースに並ぶ食べ物は特に不審ではなく、店内も不衛生ではないのでカフェラテとチキンラップを注文した。
で、ややあって出されたもののまずさ。
コーヒーが、まずい。マシーンは何処にでもあるものなので豆が問題なのだろうか。
ミルクとコーヒーは混ざっているのに、口に入れるとそれぞれの味が分離してするの。コーヒーもおいしいところではなく、それ以外のところを抽出したような味だ。
気を取り直して、ラップを口にしたところなぜか酒の香りがした。まさかと思ってもう一口かじると今度は、ほのかにカビの香りがした。もしかしたらチーズの風味なのかもしれないと思い、注意深く咀嚼してみたが、かびであるという確信はひと噛みごとに深まっていく。
食べ物を粗末にするのは大嫌いだし、多少まずくてもたいてい食べ終えるのだが、これはだめだった。
コーヒー2口。ラップ1口。これが限界。
寒さも癒えないまま、そそくさと出口に向かった。店を出る直前に例のおばさんと目が合った。なにを語らんやの目つきだったが、何かは分からなかった。ただの一瞥だったのかもしれない。
その日はなぜか一日気分が暗かった。なにかにつけ、あのまずいコーヒーとラップが思い出されて、憂鬱になった。
おいしい食べ物が人を幸せにするように、まずい食べ物が人の気持ちをこんなにも打ちのめすなんて、知らなかった。
あらためて、食と感情の関係の深さを思い知った日だった。
2007年10月3日水曜日
Shoe making
手作り靴のコースが始まった。
週に一回、1回6時間で、3回の短期コース。
基本のコンセプトは、機械類を使わずに手縫いで革の靴を作る。
初回は、靴の歴史と型紙の取り方を教わった。
3回しかなくて、しかもちくちくと手作業で一足の靴を作るのに、随分のんびりだ。
講師は現役の手作り靴職人。いわゆるオーダーメイドの靴職人。彼は手縫いではもちろんなく、ミシンやその他いりいろな機会や道具を駆使して靴を作る。
彼のアトリエを見学したとき、なかなか楽しげに靴作りの苦労や楽しさを語ってくれた。が、どうも先行きの暗い話ばかりが出ていたのが気になった。
最近の靴作りの思想は、工業的で、安く早く簡単に。おかげで粗悪な靴が多く出回りすぎてる。
良い革を仕入れる先が年々歳々減ってきている。
靴型をつくる良い職人がいない。
まあ本当の職人になろうという人は多分このクラスの中にはいないのだろうけど、初回にそんな話をしなくてもよいだろうに。とはいえ、それがおそらくこの講師の性格なのだろうなと、彼の話を聞くにつけ思った。
まじめに靴作りをやるから、どうしても廃れ行く業界を嘆く言葉でる。もしかしたらこの講師が誰よりも、12人の受講生の誰よりも、本物の靴職人を育てたがっているように思えた。
それはそれとして、なにかの作られる舞台裏を見るのはやっぱり楽しい。
靴を見て、その内部に仕込まれている構造が想像できるようになるのは、なにか今まで知らなかった新しい扉を自分の中に持つようで、嬉しい。
週に一回、1回6時間で、3回の短期コース。
基本のコンセプトは、機械類を使わずに手縫いで革の靴を作る。
初回は、靴の歴史と型紙の取り方を教わった。
3回しかなくて、しかもちくちくと手作業で一足の靴を作るのに、随分のんびりだ。
講師は現役の手作り靴職人。いわゆるオーダーメイドの靴職人。彼は手縫いではもちろんなく、ミシンやその他いりいろな機会や道具を駆使して靴を作る。
彼のアトリエを見学したとき、なかなか楽しげに靴作りの苦労や楽しさを語ってくれた。が、どうも先行きの暗い話ばかりが出ていたのが気になった。
最近の靴作りの思想は、工業的で、安く早く簡単に。おかげで粗悪な靴が多く出回りすぎてる。
良い革を仕入れる先が年々歳々減ってきている。
靴型をつくる良い職人がいない。
まあ本当の職人になろうという人は多分このクラスの中にはいないのだろうけど、初回にそんな話をしなくてもよいだろうに。とはいえ、それがおそらくこの講師の性格なのだろうなと、彼の話を聞くにつけ思った。
まじめに靴作りをやるから、どうしても廃れ行く業界を嘆く言葉でる。もしかしたらこの講師が誰よりも、12人の受講生の誰よりも、本物の靴職人を育てたがっているように思えた。
それはそれとして、なにかの作られる舞台裏を見るのはやっぱり楽しい。
靴を見て、その内部に仕込まれている構造が想像できるようになるのは、なにか今まで知らなかった新しい扉を自分の中に持つようで、嬉しい。
2007年9月12日水曜日
好きな英語の表現
Rings a bell.
直訳すれば、「ベルが鳴る」。
はっきりは思い出さないのだけど、なんか聞いた事がある。そんな時に使う言葉。
例えば、ふとすれ違った人を見て、見た事はあるけど誰だっけー、、、なんか覚えはあるのだけど、という時
「Her face rings bell.(あの顔、なんか見た事あるんだよねー)」。
この表現を初めて聞いた時、なんて可愛いんだと感心した。
頭の中で、(何故か)首にベルを付けた赤鼻のトナカイさんが、遠くの方から「りんりんりんりん、、、、」とベルを鳴らしながら近づいてくるイメージが浮かんだ。その赤鼻のトナカイさんは、はっきり思い出せない記憶を、そりに積んでやってくるのだ。
そのそりが上手く横付け出来るときもあれば、近づいたベルは無情にも走り去る事もある。
勿論これは私の勝手なイメージで、実際は何かが思い出せそうだぞ、となにかアラームのようにベルが鳴っている、と言う事なのだ。
だけど、始めに浮かんだイメージほど強烈で印象に残る物はない。未だにこの表現を聞いたり使ったりする時は、記憶を積んだそりをひいた赤鼻のトナカイさんが、ベルを鳴らしてやってくる。
直訳すれば、「ベルが鳴る」。
はっきりは思い出さないのだけど、なんか聞いた事がある。そんな時に使う言葉。
例えば、ふとすれ違った人を見て、見た事はあるけど誰だっけー、、、なんか覚えはあるのだけど、という時
「Her face rings bell.(あの顔、なんか見た事あるんだよねー)」。
この表現を初めて聞いた時、なんて可愛いんだと感心した。
頭の中で、(何故か)首にベルを付けた赤鼻のトナカイさんが、遠くの方から「りんりんりんりん、、、、」とベルを鳴らしながら近づいてくるイメージが浮かんだ。その赤鼻のトナカイさんは、はっきり思い出せない記憶を、そりに積んでやってくるのだ。
そのそりが上手く横付け出来るときもあれば、近づいたベルは無情にも走り去る事もある。
勿論これは私の勝手なイメージで、実際は何かが思い出せそうだぞ、となにかアラームのようにベルが鳴っている、と言う事なのだ。
だけど、始めに浮かんだイメージほど強烈で印象に残る物はない。未だにこの表現を聞いたり使ったりする時は、記憶を積んだそりをひいた赤鼻のトナカイさんが、ベルを鳴らしてやってくる。
2007年9月6日木曜日
分かっていなかった
基本的に健康体なので、あまり風邪もひかない。が、先週から咳が止まらない。
風邪をひいたのだ。
これが思うよりも辛い。何かを飲み込むと、咳き込みすぎたおかげで喉が痛むし、夜は咳で眠れない。
鼻が詰まるので耳も良く聞こえず、ただでさえおぼつかない英会話に更に支障を来す。
それでつくづく思ったのは、日常にある小さな病気も、本人に取ってはかなり不快で辛いものだということ。
小さな子どもを世話しているお母さん達は、基本的に慢性的睡眠不足なので風邪にかかりやすいらしく、よくママ友達が体調を崩しているのを見る。
夫は私よりもよく風邪を引いたり頭痛を起こしたり、口内炎が出来たりする。
そんな時の対応が、いまいち親身じゃなかったことに、今回気が付いた。生死に関わるものじゃないし、大抵数日で治るので「大変だね」とは言っていても、そのしんどさは分かっていなかった。
自分がやってみて、初めて分かった。というか、思い出した。
これに懲りて、夫が調子悪い時に「私の為にさっさと治ってね」と心ない事は言うまい。
何でも、体験が大事。
げほげほ。
風邪をひいたのだ。
これが思うよりも辛い。何かを飲み込むと、咳き込みすぎたおかげで喉が痛むし、夜は咳で眠れない。
鼻が詰まるので耳も良く聞こえず、ただでさえおぼつかない英会話に更に支障を来す。
それでつくづく思ったのは、日常にある小さな病気も、本人に取ってはかなり不快で辛いものだということ。
小さな子どもを世話しているお母さん達は、基本的に慢性的睡眠不足なので風邪にかかりやすいらしく、よくママ友達が体調を崩しているのを見る。
夫は私よりもよく風邪を引いたり頭痛を起こしたり、口内炎が出来たりする。
そんな時の対応が、いまいち親身じゃなかったことに、今回気が付いた。生死に関わるものじゃないし、大抵数日で治るので「大変だね」とは言っていても、そのしんどさは分かっていなかった。
自分がやってみて、初めて分かった。というか、思い出した。
これに懲りて、夫が調子悪い時に「私の為にさっさと治ってね」と心ない事は言うまい。
何でも、体験が大事。
げほげほ。
2007年8月27日月曜日
早春の散歩は
車が壊れた。以前から調子は悪かったのだけど、数日前に完全に動かなくなった。
キイを回してもうんともすんとも言わない。幸い私の住んでいるところは、野菜や肉、魚の揃うマーケットや、スーパーマーケットなどが徒歩圏内に全てあるので、日常生活には影響はない。
ここ何日かとても冬とは思えないいい天気で、気温も22〜26度と暖かい。そこでいっちょ冬の間に縮んでしまった背骨を伸ばしに、近くの海まで出かけようと思ったのだが、ふと、車がない事を思い出した。
車なら15分くらいのところを、電車に乗って行くと30分以上かかる。第一その海へ行く電車は、20分に一本と、そんなに本数がない。少しめんどくさくなったが、それでもあまりの気候の良さに誘われ家を出た。
勢いで家を出て、電車に飛び乗ったまでは良かった。だけど、目指す場所には車でしか言った事がなく、どの駅で降りるのかも調べず出て来た事に気が付いた。当てずっぽうでそれらしい駅で降りてみて、うろうろしていたら、近所に住むらしいおばあさんが方向を教えてくれた。歩く事10分。目指す海の近くの街に出た。
そんな事をしているうちに、ふと日本での生活を思い出した。
日本にいる時、私は本当に良く歩いた。特に東京の中心部は、数駅なら平気で歩き回った。駅という点と点を歩く事で線でつないでいった。小さなポケットマップをいつも持ち歩き、歩けそうな距離なら、あるいはそうでなさそうであってもとにかく歩いた。今と比べて時間が無限にあるような時期だったから、そんな暇なまねも出来たのだけど、やっぱり楽しかった。どうという事のなく生えている木の花がきれいだったり、こんなところに学校があると発見したりするのは、興味深かった。
今日の海の街までの散歩は、その時感じた、よく知らない道を歩く「わくわく」を思い出させた。
こんなところに古い教会がある。
ずいぶん赤ちゃん連れのお母さんが多いなあ。
犬のフンもすごいぞ。
怪我の功名。車が壊れなければ思い出さなかったかもしれない、かつての生活の楽しみ方。
他にも色々忘れている事が、あるのだろうか。
キイを回してもうんともすんとも言わない。幸い私の住んでいるところは、野菜や肉、魚の揃うマーケットや、スーパーマーケットなどが徒歩圏内に全てあるので、日常生活には影響はない。
ここ何日かとても冬とは思えないいい天気で、気温も22〜26度と暖かい。そこでいっちょ冬の間に縮んでしまった背骨を伸ばしに、近くの海まで出かけようと思ったのだが、ふと、車がない事を思い出した。
車なら15分くらいのところを、電車に乗って行くと30分以上かかる。第一その海へ行く電車は、20分に一本と、そんなに本数がない。少しめんどくさくなったが、それでもあまりの気候の良さに誘われ家を出た。
勢いで家を出て、電車に飛び乗ったまでは良かった。だけど、目指す場所には車でしか言った事がなく、どの駅で降りるのかも調べず出て来た事に気が付いた。当てずっぽうでそれらしい駅で降りてみて、うろうろしていたら、近所に住むらしいおばあさんが方向を教えてくれた。歩く事10分。目指す海の近くの街に出た。
そんな事をしているうちに、ふと日本での生活を思い出した。
日本にいる時、私は本当に良く歩いた。特に東京の中心部は、数駅なら平気で歩き回った。駅という点と点を歩く事で線でつないでいった。小さなポケットマップをいつも持ち歩き、歩けそうな距離なら、あるいはそうでなさそうであってもとにかく歩いた。今と比べて時間が無限にあるような時期だったから、そんな暇なまねも出来たのだけど、やっぱり楽しかった。どうという事のなく生えている木の花がきれいだったり、こんなところに学校があると発見したりするのは、興味深かった。
今日の海の街までの散歩は、その時感じた、よく知らない道を歩く「わくわく」を思い出させた。
こんなところに古い教会がある。
ずいぶん赤ちゃん連れのお母さんが多いなあ。
犬のフンもすごいぞ。
怪我の功名。車が壊れなければ思い出さなかったかもしれない、かつての生活の楽しみ方。
他にも色々忘れている事が、あるのだろうか。
2007年8月17日金曜日
焙烙鍋が欲しい
焙烙鍋が欲しい。ほうろく鍋とはお茶や豆、塩を炒る時に使う専用の鍋の事。
話の始まりは、友人がヘーゼルナッツやアーモンドのよりおいしい食べ方を教えてくれた事。
彼女の友人が、パーティーでヘーゼルナッツをオーブンでローストして出してくれた。それがゲスト達に非常に受けたらしい。料理の上手な私の友人が目を丸くして「本当においしかったんよー!」と言うのだから、やってみない手はない。豆をローストするだけでそんな感動が手に入るのだから。
うちのオーブンは常に火力全開で、微調整の効かないやる気はあるが融通の利かないヤツなので、フライパンで煎る事にした。
胡麻などを炒った事がある人は分かると思うのだが、ある時点に達するまでフライパンの中はうんともすんとも言わない。ぱちっと一粒目が弾けてからはもの凄い勢いで火が通るのだけど、それまでは本当に面白みがない。で、始めに炒ったカシューナッツはそこそこ上手く出来たのだが、次にやったアーモンドは悲惨だった。炒る時はじっと火にかけてはいけない。焦げてしまうので常にフライパンを揺すって、中身を動かしてなくてはいけない。だけど、カシューナッツで集中力を使い果したので、始めのひとはぜるが来るまで、火にかけっぱなしにしてしまった。当然フライパンに触る一点のみこげにこげて、あとは生のままになった。
普段は何でも「ま、いいか」と諦める事が多いのだが、無類の豆好き、しかもほんのちょっとの手間でその豆がぐっとおいしくなるとなると、諦めるに諦められない。
しかも別の友人は大豆を炒って食べると言い、それがあったかと膝を打った。まだ小さかった時の節分で、炒り大豆のあまりのおいしさに年齢の10倍くらい食べて腹を壊した事を思い出した。更に、だ。その友人のイタリア人の知人がチックピー(ひよこ豆。そのままですね、訳しても)を炒って食べてもおいしいと言っていたらしい。
、、、炒りたい。いろんなものを。
私のフライパンはふちがななめに広がっているので、炒り物をすると、遠心力で中の物が台所中に飛び散る。かなり神経を使ってフライパンを回さないといけないのだ。炒りの専門家としては(いつから、専門家?)そんな気苦労は道具によって解決しておきたい。というわけで、焙烙鍋が欲しい。ただいま使い勝手の良い焙烙鍋を探し中。
話の始まりは、友人がヘーゼルナッツやアーモンドのよりおいしい食べ方を教えてくれた事。
彼女の友人が、パーティーでヘーゼルナッツをオーブンでローストして出してくれた。それがゲスト達に非常に受けたらしい。料理の上手な私の友人が目を丸くして「本当においしかったんよー!」と言うのだから、やってみない手はない。豆をローストするだけでそんな感動が手に入るのだから。
うちのオーブンは常に火力全開で、微調整の効かないやる気はあるが融通の利かないヤツなので、フライパンで煎る事にした。
胡麻などを炒った事がある人は分かると思うのだが、ある時点に達するまでフライパンの中はうんともすんとも言わない。ぱちっと一粒目が弾けてからはもの凄い勢いで火が通るのだけど、それまでは本当に面白みがない。で、始めに炒ったカシューナッツはそこそこ上手く出来たのだが、次にやったアーモンドは悲惨だった。炒る時はじっと火にかけてはいけない。焦げてしまうので常にフライパンを揺すって、中身を動かしてなくてはいけない。だけど、カシューナッツで集中力を使い果したので、始めのひとはぜるが来るまで、火にかけっぱなしにしてしまった。当然フライパンに触る一点のみこげにこげて、あとは生のままになった。
普段は何でも「ま、いいか」と諦める事が多いのだが、無類の豆好き、しかもほんのちょっとの手間でその豆がぐっとおいしくなるとなると、諦めるに諦められない。
しかも別の友人は大豆を炒って食べると言い、それがあったかと膝を打った。まだ小さかった時の節分で、炒り大豆のあまりのおいしさに年齢の10倍くらい食べて腹を壊した事を思い出した。更に、だ。その友人のイタリア人の知人がチックピー(ひよこ豆。そのままですね、訳しても)を炒って食べてもおいしいと言っていたらしい。
、、、炒りたい。いろんなものを。
私のフライパンはふちがななめに広がっているので、炒り物をすると、遠心力で中の物が台所中に飛び散る。かなり神経を使ってフライパンを回さないといけないのだ。炒りの専門家としては(いつから、専門家?)そんな気苦労は道具によって解決しておきたい。というわけで、焙烙鍋が欲しい。ただいま使い勝手の良い焙烙鍋を探し中。
2007年8月11日土曜日
寒空の下のたこ焼き
夫の両親が住む街で、週に一回開かれるファーマーズマーケットに行った。
ファーマーズマーケットとは、農家の人が採れた野菜や果物をライトバンなどに積んで、広場に持って来て直接売るもの。
とはいえ、オーガニックパンや、自分で編んだ毛糸物のお店や手作りジャムの店などもある。
基本的には、普段何にもない広場に各々が売りたいものを持ち寄って開かれるマーケット。
そこに日本人の男の人がいた。白人のおじさんがパンを売ってるその脇を借りて、たこ焼きを売っていた。
歳は20代中頃か。小柄でやせ身。頭には黒に緑の線が入ったニット帽。夫の両親が住むその街はそう大きくなく、どちらかと言うと郊外というような土地。日本人はおろかアジア人はあまり見かけない。そこで見かけた日本人。しかもただ観光しているのではなく、たこ焼きを売っている。だからちょっと声をかけてみた。あまり話は好きではないようで、会話はあまり弾まなかった。でもあちこち旅行をし、まだこれからもしたい人らしかった。インドを主に回り、今はオーストラリアを回っているらしい。その関連性はあまりないようだった。ただ、若い旅行者によくあるように、予算の問題は常について回るらしく、今まではフルーツピッキング(野菜または果物の収穫)をして資金をひねり出していたらしい。が、これからは商売で世界を回るらしい。
たこ焼きでオーストラリアを回るのだ。
あまり顔色も良くなく、寒さなのか緊張なのかソースを絞り出す手が震えていた。ほんの一瞬接しただけだけど、この男の人はどこに行こうとしているのだろ、ふと気になった。心配というほど親身ではなく、興味というほど真剣でもなく。
ハノイにいた時よく会ったやたらと明るく社交的なバックパッカー達とは違った、なにか切実な、だけどひどく個人的なものを心に持っていそうだった。彼はそんな私の勝手な思いなどとは関係のないところで、たこ焼きを焼き続けるのだろうけど。
昨日徹夜で焼き方の練習始めました、と言っているようなたこ焼き5個4ドル。
エールの意味も込めて、2パック購入。
ファーマーズマーケットとは、農家の人が採れた野菜や果物をライトバンなどに積んで、広場に持って来て直接売るもの。
とはいえ、オーガニックパンや、自分で編んだ毛糸物のお店や手作りジャムの店などもある。
基本的には、普段何にもない広場に各々が売りたいものを持ち寄って開かれるマーケット。
そこに日本人の男の人がいた。白人のおじさんがパンを売ってるその脇を借りて、たこ焼きを売っていた。
歳は20代中頃か。小柄でやせ身。頭には黒に緑の線が入ったニット帽。夫の両親が住むその街はそう大きくなく、どちらかと言うと郊外というような土地。日本人はおろかアジア人はあまり見かけない。そこで見かけた日本人。しかもただ観光しているのではなく、たこ焼きを売っている。だからちょっと声をかけてみた。あまり話は好きではないようで、会話はあまり弾まなかった。でもあちこち旅行をし、まだこれからもしたい人らしかった。インドを主に回り、今はオーストラリアを回っているらしい。その関連性はあまりないようだった。ただ、若い旅行者によくあるように、予算の問題は常について回るらしく、今まではフルーツピッキング(野菜または果物の収穫)をして資金をひねり出していたらしい。が、これからは商売で世界を回るらしい。
たこ焼きでオーストラリアを回るのだ。
あまり顔色も良くなく、寒さなのか緊張なのかソースを絞り出す手が震えていた。ほんの一瞬接しただけだけど、この男の人はどこに行こうとしているのだろ、ふと気になった。心配というほど親身ではなく、興味というほど真剣でもなく。
ハノイにいた時よく会ったやたらと明るく社交的なバックパッカー達とは違った、なにか切実な、だけどひどく個人的なものを心に持っていそうだった。彼はそんな私の勝手な思いなどとは関係のないところで、たこ焼きを焼き続けるのだろうけど。
昨日徹夜で焼き方の練習始めました、と言っているようなたこ焼き5個4ドル。
エールの意味も込めて、2パック購入。
2007年8月3日金曜日
何度も影響されたい
須賀敦子、この人の名前を見るだけで、何か背筋が伸びる思いがする。
読む事に関しては意外と門戸の広い私なのだけど、女性が書く文で面白いと思う事は、残念ながらあまり多くない。
(性差別は他ならぬ女性によって強化されている、となにかで読んだ事があるのだけど、とりあえずそれはここでは置くとして、、、)
そんな理由で、今までで最も本を読んだ大学時代でも、須賀敦子の本は敬遠して読まなかった。好きな作家の一人の池澤夏樹関連の読み物の中でもちょくちょく目にしたのだけど、やっぱり腰は重いままだった。
好きな作家の読み始めは、本当に良く覚えているのだけど、この作家だけは何故か全く思えていない。それなのに気が付いたら、海外生活に持って行く本の中に入っていた(重さとの戦いで選び抜かれた本は、言うまでもなく、かなりの重要度なのだ)。そして数回の日本帰国の際にも、オーストラリアに戻る際の荷物には、必ず数冊彼女の本が入ってる。
この作家に惹かれる理由はかなりはっきりしている。文が上品。「良家のお嬢さん」という事も勿論大きく影響しているのだけど、物事に対する姿勢がいつも正直で、厳しい。歯に衣着せぬ、というか、なあなあな感じが全然ない。1953年にフランスへ留学、一時帰国後に渡伊、帰国後大学の教授となる。また翻訳や自らの作品によって、日本とイタリアの文学界に大きな貢献をしたこの作家をして、「きっちり足に合ったの靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩けるのに」と言う。(手元に本がないので引用は正確ではないが「ユルスナールの靴」より)1929年生まれという世代の女性が、ここまでの事をしたのに、まだ足りないと。その厳しさが、ある種の清々しさとなって、文章に溢れている。
気に入った本は、本当に何度も読むのだけど、須賀敦子の本は本当に何度も読む。
始めから全部読み返すのではなくて、気に入ったところをひょいひょいと拾い読みする。どこにどんな話があったかはかなり良く覚えているので、その時浸りたい気分に合うページを読み返す。
だけど、彼女の文が読みたいと思うのは大抵決まっていて、疲れて気力が湧かない時や、たるんだ気持ちになってる自分に嫌気がさした時。彼女の厳しさで喝を入れ直したい。まねは出来ないけど、ちょっと影響されてみたいのだ。
何度も何度も読めて、その度になにか影響をを受続けられる作家を何人かも持つのは、かなり、人生を楽しくしてくれる、と思う。
「ユルスナールの靴」須賀敦子 白水uブックス 945円
読む事に関しては意外と門戸の広い私なのだけど、女性が書く文で面白いと思う事は、残念ながらあまり多くない。
(性差別は他ならぬ女性によって強化されている、となにかで読んだ事があるのだけど、とりあえずそれはここでは置くとして、、、)
そんな理由で、今までで最も本を読んだ大学時代でも、須賀敦子の本は敬遠して読まなかった。好きな作家の一人の池澤夏樹関連の読み物の中でもちょくちょく目にしたのだけど、やっぱり腰は重いままだった。
好きな作家の読み始めは、本当に良く覚えているのだけど、この作家だけは何故か全く思えていない。それなのに気が付いたら、海外生活に持って行く本の中に入っていた(重さとの戦いで選び抜かれた本は、言うまでもなく、かなりの重要度なのだ)。そして数回の日本帰国の際にも、オーストラリアに戻る際の荷物には、必ず数冊彼女の本が入ってる。
この作家に惹かれる理由はかなりはっきりしている。文が上品。「良家のお嬢さん」という事も勿論大きく影響しているのだけど、物事に対する姿勢がいつも正直で、厳しい。歯に衣着せぬ、というか、なあなあな感じが全然ない。1953年にフランスへ留学、一時帰国後に渡伊、帰国後大学の教授となる。また翻訳や自らの作品によって、日本とイタリアの文学界に大きな貢献をしたこの作家をして、「きっちり足に合ったの靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩けるのに」と言う。(手元に本がないので引用は正確ではないが「ユルスナールの靴」より)1929年生まれという世代の女性が、ここまでの事をしたのに、まだ足りないと。その厳しさが、ある種の清々しさとなって、文章に溢れている。
気に入った本は、本当に何度も読むのだけど、須賀敦子の本は本当に何度も読む。
始めから全部読み返すのではなくて、気に入ったところをひょいひょいと拾い読みする。どこにどんな話があったかはかなり良く覚えているので、その時浸りたい気分に合うページを読み返す。
だけど、彼女の文が読みたいと思うのは大抵決まっていて、疲れて気力が湧かない時や、たるんだ気持ちになってる自分に嫌気がさした時。彼女の厳しさで喝を入れ直したい。まねは出来ないけど、ちょっと影響されてみたいのだ。
何度も何度も読めて、その度になにか影響をを受続けられる作家を何人かも持つのは、かなり、人生を楽しくしてくれる、と思う。
「ユルスナールの靴」須賀敦子 白水uブックス 945円
2007年7月30日月曜日
イラクの優勝
サッカーのアジア杯が、イラクの優勝で幕を閉じた。
別にサッカーファンでも何でもないし、どうしても日本に勝って欲しいという愛国心(?)も薄い。だから無条件でイラク優勝を心から喜べる。と言ってもイラクのファンでは全くないのだけけれど。日本やオーストラリアが勝つよりずっと「よかったよかった」感がある。
優勝を伝えるテレビのニュースは、当然スポーツのコーナーだったのだけど、優勝が決まった瞬間に映されたサポーター達(と言う日本風の軽い感じの呼び方にはちょっとそぐわない人々だったのだけど)の喜びようは、単なるスポーツの枠を超えていたように感じた。
いい年のおじさんが半泣きになって、隣の人にしがみついていたり、歓喜の雄叫びをあげたり。戦争絡みの不幸なニュースが多いこの国で、この優勝は、ある意味、国としての自信を与えてくれる出来事だったのじゃないかと想像する。
私がこのイラクの優勝について知っている事は、優勝を聞いて狂喜乱舞する人々を映したほんの数秒の映像だ。そもそもニュースの映像なんて、多かれ少なかれ意図的に選ばれたものだし、それだけを元に(やや感情的に)、イラクが優勝してよかった、というのも浅はかな気はする。だけど、少なくとも、家族がある日突然爆弾で殺されたりしない、自分の国の政治を考えなくてもいい(ような気になれる)、例えば日本のような国が優勝するよりは、価値があったのじゃないだろうか。
別にサッカーファンでも何でもないし、どうしても日本に勝って欲しいという愛国心(?)も薄い。だから無条件でイラク優勝を心から喜べる。と言ってもイラクのファンでは全くないのだけけれど。日本やオーストラリアが勝つよりずっと「よかったよかった」感がある。
優勝を伝えるテレビのニュースは、当然スポーツのコーナーだったのだけど、優勝が決まった瞬間に映されたサポーター達(と言う日本風の軽い感じの呼び方にはちょっとそぐわない人々だったのだけど)の喜びようは、単なるスポーツの枠を超えていたように感じた。
いい年のおじさんが半泣きになって、隣の人にしがみついていたり、歓喜の雄叫びをあげたり。戦争絡みの不幸なニュースが多いこの国で、この優勝は、ある意味、国としての自信を与えてくれる出来事だったのじゃないかと想像する。
私がこのイラクの優勝について知っている事は、優勝を聞いて狂喜乱舞する人々を映したほんの数秒の映像だ。そもそもニュースの映像なんて、多かれ少なかれ意図的に選ばれたものだし、それだけを元に(やや感情的に)、イラクが優勝してよかった、というのも浅はかな気はする。だけど、少なくとも、家族がある日突然爆弾で殺されたりしない、自分の国の政治を考えなくてもいい(ような気になれる)、例えば日本のような国が優勝するよりは、価値があったのじゃないだろうか。
2007年7月26日木曜日
爽やかな気分に
6年ぶりでしっかり泳いだ。45分500メートル。多分すごく遅いのだろうけど、6年ぶりだし、普段運動らしい運動をしていない割には頑張ったのではないかと思う。泳ぐ前はもっとしんどいかと思ったのだけど、案外気持ちよく泳げた。運動の為の運動はしていないけど、必要に迫られて毎日毎日歩き回ってるのが効いているのだろうか。
夫や友人は、ジョギングと水泳の面白さが全く分からない、という。ジョギングに関しては同感で、足は痛くなるし苦しいし、運動に慣れていない私なんかには、絶対体に毒だと思う。だけど、水泳は大好きだ。水の中というのがいい。水中の、ある意味非日常な感覚が楽しい。重力の影響が少なくなった浮遊感や、空中に比べて鈍い音の伝わり方がスローモーションを思わせて、映画のワンシーンのようだ。その水をかき分けて、ぐいぐい進む快感は一体なんなのだろう。水につかるだけで非日常を味わえるのだけど、やっぱりそれだけでは飽きてしまう。泳いでこその楽しみ。手足がだるくなって、だんだん水が重くなっていくのが気持ちいい。
あとジョギングと違っていいところは、いつでもおしまいにできる所だ。ジョギングはいつも「どこまで走ろう」と考えている。近すぎるところで引き返すと不完全燃焼だし、遠くまで行くと、当然帰ってくる時後悔する。水泳は雑念抜きで泳ぎたいだけ泳いで、気が済めばすぐにやめられる。
普段運動しない人間が、たまに運動して健康的な気分になった時に思う事を思いながら、家路についた。
「なんだかんだ言っても健康な精神は健康な肉体に宿るんだなあ」(口笛付き)
夫や友人は、ジョギングと水泳の面白さが全く分からない、という。ジョギングに関しては同感で、足は痛くなるし苦しいし、運動に慣れていない私なんかには、絶対体に毒だと思う。だけど、水泳は大好きだ。水の中というのがいい。水中の、ある意味非日常な感覚が楽しい。重力の影響が少なくなった浮遊感や、空中に比べて鈍い音の伝わり方がスローモーションを思わせて、映画のワンシーンのようだ。その水をかき分けて、ぐいぐい進む快感は一体なんなのだろう。水につかるだけで非日常を味わえるのだけど、やっぱりそれだけでは飽きてしまう。泳いでこその楽しみ。手足がだるくなって、だんだん水が重くなっていくのが気持ちいい。
あとジョギングと違っていいところは、いつでもおしまいにできる所だ。ジョギングはいつも「どこまで走ろう」と考えている。近すぎるところで引き返すと不完全燃焼だし、遠くまで行くと、当然帰ってくる時後悔する。水泳は雑念抜きで泳ぎたいだけ泳いで、気が済めばすぐにやめられる。
普段運動しない人間が、たまに運動して健康的な気分になった時に思う事を思いながら、家路についた。
「なんだかんだ言っても健康な精神は健康な肉体に宿るんだなあ」(口笛付き)
2007年7月24日火曜日
MILK BAR
MILK BARと聞いてどんなお店を思い浮かべるだろう?オーストラリアに住んだ事がある人などは特に苦労もなく「MILK BAR」を思い浮かべると思う。だけど初めてメルボルンに来て、「MILK BAR」という看板を見た時、私はいろいろな事を考えた。
「ミルク」の「バー」。映画「時計仕掛けのオレンジ」に出てくるようなサイケで、キッチュな人々が何故かグラス一杯の牛乳を飲んでいるような「バー」。あるいは照明あくまで暗い、いわゆるお酒を飲むようなバーで、ウイスキーとかが置いてある棚が種々の牛乳で埋められている。黒い腰から下だけのエプロンをしたオヤジが客と「やっぱりジャージー種は最高だ」とか語っているような「バー」。
まあ実態はいわゆる雑貨屋で、新聞から食料品、それこそ牛乳まで何でも置いてあるお店なのだけれど。慣れてしまえばどんな言葉もただの記号と化して、特に注意も払わなくなるのだけど、なぜかふと、こちらに来たての頃「MILK BAR」という名前を可愛いと感じ、色々想像をかき立てられた事を思い出した。
「ミルク」の「バー」。映画「時計仕掛けのオレンジ」に出てくるようなサイケで、キッチュな人々が何故かグラス一杯の牛乳を飲んでいるような「バー」。あるいは照明あくまで暗い、いわゆるお酒を飲むようなバーで、ウイスキーとかが置いてある棚が種々の牛乳で埋められている。黒い腰から下だけのエプロンをしたオヤジが客と「やっぱりジャージー種は最高だ」とか語っているような「バー」。
まあ実態はいわゆる雑貨屋で、新聞から食料品、それこそ牛乳まで何でも置いてあるお店なのだけれど。慣れてしまえばどんな言葉もただの記号と化して、特に注意も払わなくなるのだけど、なぜかふと、こちらに来たての頃「MILK BAR」という名前を可愛いと感じ、色々想像をかき立てられた事を思い出した。
2007年7月20日金曜日
気になる
日本にある会社が扱っている商品が欲しくて、海外発送をするかどうか問い合わせてみた。その返事が以下の通り。
大変申し訳ございませんが、
弊社では、海外発送は、取り扱っておりません。
申し訳ございませんが、お客様にて発送をお願いいたします。
よろしくお願い致します。
一番の目的である「海外発送をするかどうか」の答えは分かった。だけど「申し訳ございませんが」のあとの提案の意味が分からない。
お客様にて「日本にいる誰かに頼むなどして」発送「の手続き」をお願いします。
「日本に来て、」お客様「ご自身」にて発送をお願いいたします。
お客様にて「自分で勝手に」発送「の手続き」をお願いいたします。
まあ基本的にはお客様が自分で解決して下さいということなのだろう。それにしても、オフィシャルなメールでこの貧しい文章力はちょっとまずいんじゃないかと考え込んでしまった。送り先がただの主婦だからブログに文句を書かれるくらいで済んでいるけど、これが新しい販売先との交渉の場だったり、あるいはなにかもっと大事な場面だったら、意思が伝わらなくてよからぬ結果を招いたりするのじゃないだろうか。(余計な心配だ)
多分、取り立ててあれこれ言うほどの事ではないのだろうけど、やっぱりどうも気になる。海外に住んで6年目。私の日本語もかなりあやうくなっているし、「日本語の乱れが!」と声高に叫ぶ気もない。ただ事務的なメールでは最低限意味が伝わらないと、だめ、なのではないだろうか。一体どんな人がこの返事を書いてきたのだろう。若い人、だと思うのは偏見だろうか。
(文句ついでに言ってしまうと、必要のない読点が多すぎる。翻訳者としても有名な柴田元幸は「句読点は人格の問題だ」と言っている。私も、その、意見に、賛成、だ。)
大変申し訳ございませんが、
弊社では、海外発送は、取り扱っておりません。
申し訳ございませんが、お客様にて発送をお願いいたします。
よろしくお願い致します。
一番の目的である「海外発送をするかどうか」の答えは分かった。だけど「申し訳ございませんが」のあとの提案の意味が分からない。
お客様にて「日本にいる誰かに頼むなどして」発送「の手続き」をお願いします。
「日本に来て、」お客様「ご自身」にて発送をお願いいたします。
お客様にて「自分で勝手に」発送「の手続き」をお願いいたします。
まあ基本的にはお客様が自分で解決して下さいということなのだろう。それにしても、オフィシャルなメールでこの貧しい文章力はちょっとまずいんじゃないかと考え込んでしまった。送り先がただの主婦だからブログに文句を書かれるくらいで済んでいるけど、これが新しい販売先との交渉の場だったり、あるいはなにかもっと大事な場面だったら、意思が伝わらなくてよからぬ結果を招いたりするのじゃないだろうか。(余計な心配だ)
多分、取り立ててあれこれ言うほどの事ではないのだろうけど、やっぱりどうも気になる。海外に住んで6年目。私の日本語もかなりあやうくなっているし、「日本語の乱れが!」と声高に叫ぶ気もない。ただ事務的なメールでは最低限意味が伝わらないと、だめ、なのではないだろうか。一体どんな人がこの返事を書いてきたのだろう。若い人、だと思うのは偏見だろうか。
(文句ついでに言ってしまうと、必要のない読点が多すぎる。翻訳者としても有名な柴田元幸は「句読点は人格の問題だ」と言っている。私も、その、意見に、賛成、だ。)
2007年7月16日月曜日
職人の仕事
ACMI(Australian Center for the Moving Image) でやっているPixar20周年記念展に行って来た。
Pixarは誰でも知ってるアニメ映画を作っている会社。有名なところでは「The Incredibles」「Monsters inc.」「 Cars」。
展示されているのはキャラクターの案画やストーリのラフ画、彫刻のように粘土で3Dにされたキャラクターなど。面白いところでは、円卓にキャラクターのフィギア(人形)が駒送りで置いてあるもの。円卓が高速で回って、照明がフラッシュすると、フィギアたちが動いて見える。アニメーションの原理を3Dで見せたもの。このアニメーションの完成度には感心した。世界トップレベルのプロが作ってるのだから当然なのだけど、単に「動く」ではなく、ちゃんと見る人を楽しませてくれる。
たかだか1時間半の映画に、想像以上の技術と労力が使われている事に改めて驚いた。スタッフ達がいいものを作るために惜しみなく力を注いでいるのがひしひしと伝わって来る。それも、「やる気」という根性だけではなくて、職人の確かな技術が伴っているところが清々しい。
Pixar:20 years of Animationは10月14日まで。
詳しくはwww.acmi.net.au
Pixarは誰でも知ってるアニメ映画を作っている会社。有名なところでは「The Incredibles」「Monsters inc.」「 Cars」。
展示されているのはキャラクターの案画やストーリのラフ画、彫刻のように粘土で3Dにされたキャラクターなど。面白いところでは、円卓にキャラクターのフィギア(人形)が駒送りで置いてあるもの。円卓が高速で回って、照明がフラッシュすると、フィギアたちが動いて見える。アニメーションの原理を3Dで見せたもの。このアニメーションの完成度には感心した。世界トップレベルのプロが作ってるのだから当然なのだけど、単に「動く」ではなく、ちゃんと見る人を楽しませてくれる。
たかだか1時間半の映画に、想像以上の技術と労力が使われている事に改めて驚いた。スタッフ達がいいものを作るために惜しみなく力を注いでいるのがひしひしと伝わって来る。それも、「やる気」という根性だけではなくて、職人の確かな技術が伴っているところが清々しい。
Pixar:20 years of Animationは10月14日まで。
詳しくはwww.acmi.net.au
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