2007年8月27日月曜日

早春の散歩は

車が壊れた。以前から調子は悪かったのだけど、数日前に完全に動かなくなった。
キイを回してもうんともすんとも言わない。幸い私の住んでいるところは、野菜や肉、魚の揃うマーケットや、スーパーマーケットなどが徒歩圏内に全てあるので、日常生活には影響はない。

ここ何日かとても冬とは思えないいい天気で、気温も22〜26度と暖かい。そこでいっちょ冬の間に縮んでしまった背骨を伸ばしに、近くの海まで出かけようと思ったのだが、ふと、車がない事を思い出した。
車なら15分くらいのところを、電車に乗って行くと30分以上かかる。第一その海へ行く電車は、20分に一本と、そんなに本数がない。少しめんどくさくなったが、それでもあまりの気候の良さに誘われ家を出た。
勢いで家を出て、電車に飛び乗ったまでは良かった。だけど、目指す場所には車でしか言った事がなく、どの駅で降りるのかも調べず出て来た事に気が付いた。当てずっぽうでそれらしい駅で降りてみて、うろうろしていたら、近所に住むらしいおばあさんが方向を教えてくれた。歩く事10分。目指す海の近くの街に出た。

そんな事をしているうちに、ふと日本での生活を思い出した。
日本にいる時、私は本当に良く歩いた。特に東京の中心部は、数駅なら平気で歩き回った。駅という点と点を歩く事で線でつないでいった。小さなポケットマップをいつも持ち歩き、歩けそうな距離なら、あるいはそうでなさそうであってもとにかく歩いた。今と比べて時間が無限にあるような時期だったから、そんな暇なまねも出来たのだけど、やっぱり楽しかった。どうという事のなく生えている木の花がきれいだったり、こんなところに学校があると発見したりするのは、興味深かった。
今日の海の街までの散歩は、その時感じた、よく知らない道を歩く「わくわく」を思い出させた。
こんなところに古い教会がある。
ずいぶん赤ちゃん連れのお母さんが多いなあ。
犬のフンもすごいぞ。

怪我の功名。車が壊れなければ思い出さなかったかもしれない、かつての生活の楽しみ方。
他にも色々忘れている事が、あるのだろうか。

2007年8月17日金曜日

焙烙鍋が欲しい

焙烙鍋が欲しい。ほうろく鍋とはお茶や豆、塩を炒る時に使う専用の鍋の事。

話の始まりは、友人がヘーゼルナッツやアーモンドのよりおいしい食べ方を教えてくれた事。
彼女の友人が、パーティーでヘーゼルナッツをオーブンでローストして出してくれた。それがゲスト達に非常に受けたらしい。料理の上手な私の友人が目を丸くして「本当においしかったんよー!」と言うのだから、やってみない手はない。豆をローストするだけでそんな感動が手に入るのだから。
うちのオーブンは常に火力全開で、微調整の効かないやる気はあるが融通の利かないヤツなので、フライパンで煎る事にした。
胡麻などを炒った事がある人は分かると思うのだが、ある時点に達するまでフライパンの中はうんともすんとも言わない。ぱちっと一粒目が弾けてからはもの凄い勢いで火が通るのだけど、それまでは本当に面白みがない。で、始めに炒ったカシューナッツはそこそこ上手く出来たのだが、次にやったアーモンドは悲惨だった。炒る時はじっと火にかけてはいけない。焦げてしまうので常にフライパンを揺すって、中身を動かしてなくてはいけない。だけど、カシューナッツで集中力を使い果したので、始めのひとはぜるが来るまで、火にかけっぱなしにしてしまった。当然フライパンに触る一点のみこげにこげて、あとは生のままになった。
普段は何でも「ま、いいか」と諦める事が多いのだが、無類の豆好き、しかもほんのちょっとの手間でその豆がぐっとおいしくなるとなると、諦めるに諦められない。
しかも別の友人は大豆を炒って食べると言い、それがあったかと膝を打った。まだ小さかった時の節分で、炒り大豆のあまりのおいしさに年齢の10倍くらい食べて腹を壊した事を思い出した。更に、だ。その友人のイタリア人の知人がチックピー(ひよこ豆。そのままですね、訳しても)を炒って食べてもおいしいと言っていたらしい。

、、、炒りたい。いろんなものを。

私のフライパンはふちがななめに広がっているので、炒り物をすると、遠心力で中の物が台所中に飛び散る。かなり神経を使ってフライパンを回さないといけないのだ。炒りの専門家としては(いつから、専門家?)そんな気苦労は道具によって解決しておきたい。というわけで、焙烙鍋が欲しい。ただいま使い勝手の良い焙烙鍋を探し中。

2007年8月11日土曜日

寒空の下のたこ焼き

夫の両親が住む街で、週に一回開かれるファーマーズマーケットに行った。
ファーマーズマーケットとは、農家の人が採れた野菜や果物をライトバンなどに積んで、広場に持って来て直接売るもの。
とはいえ、オーガニックパンや、自分で編んだ毛糸物のお店や手作りジャムの店などもある。
基本的には、普段何にもない広場に各々が売りたいものを持ち寄って開かれるマーケット。

そこに日本人の男の人がいた。白人のおじさんがパンを売ってるその脇を借りて、たこ焼きを売っていた。
歳は20代中頃か。小柄でやせ身。頭には黒に緑の線が入ったニット帽。夫の両親が住むその街はそう大きくなく、どちらかと言うと郊外というような土地。日本人はおろかアジア人はあまり見かけない。そこで見かけた日本人。しかもただ観光しているのではなく、たこ焼きを売っている。だからちょっと声をかけてみた。あまり話は好きではないようで、会話はあまり弾まなかった。でもあちこち旅行をし、まだこれからもしたい人らしかった。インドを主に回り、今はオーストラリアを回っているらしい。その関連性はあまりないようだった。ただ、若い旅行者によくあるように、予算の問題は常について回るらしく、今まではフルーツピッキング(野菜または果物の収穫)をして資金をひねり出していたらしい。が、これからは商売で世界を回るらしい。
たこ焼きでオーストラリアを回るのだ。

あまり顔色も良くなく、寒さなのか緊張なのかソースを絞り出す手が震えていた。ほんの一瞬接しただけだけど、この男の人はどこに行こうとしているのだろ、ふと気になった。心配というほど親身ではなく、興味というほど真剣でもなく。
ハノイにいた時よく会ったやたらと明るく社交的なバックパッカー達とは違った、なにか切実な、だけどひどく個人的なものを心に持っていそうだった。彼はそんな私の勝手な思いなどとは関係のないところで、たこ焼きを焼き続けるのだろうけど。

昨日徹夜で焼き方の練習始めました、と言っているようなたこ焼き5個4ドル。
エールの意味も込めて、2パック購入。

2007年8月3日金曜日

何度も影響されたい

須賀敦子、この人の名前を見るだけで、何か背筋が伸びる思いがする。

読む事に関しては意外と門戸の広い私なのだけど、女性が書く文で面白いと思う事は、残念ながらあまり多くない。
(性差別は他ならぬ女性によって強化されている、となにかで読んだ事があるのだけど、とりあえずそれはここでは置くとして、、、)
そんな理由で、今までで最も本を読んだ大学時代でも、須賀敦子の本は敬遠して読まなかった。好きな作家の一人の池澤夏樹関連の読み物の中でもちょくちょく目にしたのだけど、やっぱり腰は重いままだった。
好きな作家の読み始めは、本当に良く覚えているのだけど、この作家だけは何故か全く思えていない。それなのに気が付いたら、海外生活に持って行く本の中に入っていた(重さとの戦いで選び抜かれた本は、言うまでもなく、かなりの重要度なのだ)。そして数回の日本帰国の際にも、オーストラリアに戻る際の荷物には、必ず数冊彼女の本が入ってる。

この作家に惹かれる理由はかなりはっきりしている。文が上品。「良家のお嬢さん」という事も勿論大きく影響しているのだけど、物事に対する姿勢がいつも正直で、厳しい。歯に衣着せぬ、というか、なあなあな感じが全然ない。1953年にフランスへ留学、一時帰国後に渡伊、帰国後大学の教授となる。また翻訳や自らの作品によって、日本とイタリアの文学界に大きな貢献をしたこの作家をして、「きっちり足に合ったの靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩けるのに」と言う。(手元に本がないので引用は正確ではないが「ユルスナールの靴」より)1929年生まれという世代の女性が、ここまでの事をしたのに、まだ足りないと。その厳しさが、ある種の清々しさとなって、文章に溢れている。

気に入った本は、本当に何度も読むのだけど、須賀敦子の本は本当に何度も読む。
始めから全部読み返すのではなくて、気に入ったところをひょいひょいと拾い読みする。どこにどんな話があったかはかなり良く覚えているので、その時浸りたい気分に合うページを読み返す。
だけど、彼女の文が読みたいと思うのは大抵決まっていて、疲れて気力が湧かない時や、たるんだ気持ちになってる自分に嫌気がさした時。彼女の厳しさで喝を入れ直したい。まねは出来ないけど、ちょっと影響されてみたいのだ。

何度も何度も読めて、その度になにか影響をを受続けられる作家を何人かも持つのは、かなり、人生を楽しくしてくれる、と思う。

「ユルスナールの靴」須賀敦子 白水uブックス 945円