2007年10月23日火曜日

記憶の役目

先日父親が、出張でベトナムへ行ってきた。
体調もあまり良くなかったようで、行く前はかなり憂鬱そうだったが、帰ってきてから話した声はむしろ元気そうだった。
昔からなんだかんだいいながら、なんでも上手く乗り切っていく人なのだ。

それはそれとして、父の話すベトナムの風景は以前ハノイに暮らしていた時のことを思い出させて、懐かしかった。
と、思っていた次の日に、30度を超える暑い日になった。
湿気の多いベトナムとここの乾燥した暑さとは、随分違う。だけど、その日は夕方から雨の気配がしてきて、湿気って生暖かい風が吹いてきた。結局雨は降らず、思わせぶりな雰囲気が漂っただけだったけど、ベトナムのだるい午後を思い出させるには十分だった。
結婚もせず、子供もいず、あくまで独り(だと思っていた)の日々。
振り返る価値のある、心地のいい記憶。そういう記憶があるから、今もこれからも生きていけるような気がするのだ、と、思う。

「私はね、よく昔の事を考えるの。こうして日本中逃げ回るようになってからは、とくにね。それでね、一生懸命思い出そうと努力してると、いろんな記憶がけっこうありありとよみがえってくるもんやねん。ずっと長いあいだ忘れてたことが、なんかの拍子にぱっと思い出せたりするわけ。それはね、なかなか面白いんよ。人間の記憶ゆうのはほんまにけったいなもので、役にも立たんような、しょうもないようなことを、引き出しにいっぱいつめこんでいるもんなんよ。現実的に必要な大事なことはかたっぱいから忘れていくのにね」
村上春樹「アフターダーク」より

2007年10月18日木曜日

恥ずかしながら、好きなテレビ番組

あまり熱心にテレビを見る方ではないのだけれど、もうかぶり付きで見てしまう番組が一つだけある。
アメリカの番組で、オーストラリアで放送されているもの。' So you think you can dance'。
形式としては、一般公募でダンサー(プロアマ問わず)を募集審査し、何名か忘れたけど最終メンバーとして残される。
そのメンバーがペアになって、毎週ランダムに与えられる課題のダンスを踊り、そのダンスを見た人々からの投票を経て毎週一人ずつ脱落していき、最後のベストダンサーを選ぶというもの。
作りとしてはありふれたものなのだけど、いろんなジャンルからのダンサーたちが違うジャンルに挑戦するのは興味深い。

また、シリーズ物の狙いなのだろうけど、毎回見ているとそれぞれの人物のキャラクターが浮かんできて、贔屓のダンサーが出来てくる。ぐんぐん腕を上げてくるものもいれば、伸び悩むまま脱落するものもいる。振り付け師の重要性もはっきりみえる。
何よりも、アメリカ的な極端な緊張感というか集中力にポジティブな力強さを感じる。

だいたい私はセミプロのダンスが大好きなのだ。
プロになりたいという切羽詰まった真剣さと、それをもろに出さず優雅に、楽しく、美しく踊る。
そのぎりぎりのところで行われる表現が、たまらなくエキサイティングだ、と思う。

食が与える影響

おいしいものは人を幸せにしてくれる。
例えばとても疲れている時に丁寧に入れたおいしいお茶が、心の底からくつろがせてくれる。
例えばおいしい料理が、パーティーや友達とのランチを盛り上げてくれる。

先日、異常に寒い日に、体を温めようと入ったカフェでの事。
店内にはやたらと愛想のいいアジア人のおやじと、おそらくその奥さんでおろうおばさん。それに、いかにも仕事のできなそうなアジア人の女の子がいた。外装はオーストラリアの何処にでもある軽食屋なのだが、この3人の醸し出す雰囲気がなんとなく異様だった。
移民の多いここでは、アジア人がやっているウエスタンなお店は当然珍しくないのだけど、この店は何とも言いがたいアンバランスな空気に包まれていた。中国の片田舎ではやらない飲食店をやっている家族が、そのままオーストラリアに来てしまったような、そんな感じ。

だけど、ショーケースに並ぶ食べ物は特に不審ではなく、店内も不衛生ではないのでカフェラテとチキンラップを注文した。

で、ややあって出されたもののまずさ。
コーヒーが、まずい。マシーンは何処にでもあるものなので豆が問題なのだろうか。
ミルクとコーヒーは混ざっているのに、口に入れるとそれぞれの味が分離してするの。コーヒーもおいしいところではなく、それ以外のところを抽出したような味だ。
気を取り直して、ラップを口にしたところなぜか酒の香りがした。まさかと思ってもう一口かじると今度は、ほのかにカビの香りがした。もしかしたらチーズの風味なのかもしれないと思い、注意深く咀嚼してみたが、かびであるという確信はひと噛みごとに深まっていく。
食べ物を粗末にするのは大嫌いだし、多少まずくてもたいてい食べ終えるのだが、これはだめだった。
コーヒー2口。ラップ1口。これが限界。
寒さも癒えないまま、そそくさと出口に向かった。店を出る直前に例のおばさんと目が合った。なにを語らんやの目つきだったが、何かは分からなかった。ただの一瞥だったのかもしれない。

その日はなぜか一日気分が暗かった。なにかにつけ、あのまずいコーヒーとラップが思い出されて、憂鬱になった。
おいしい食べ物が人を幸せにするように、まずい食べ物が人の気持ちをこんなにも打ちのめすなんて、知らなかった。
あらためて、食と感情の関係の深さを思い知った日だった。

2007年10月3日水曜日

Shoe making

手作り靴のコースが始まった。
週に一回、1回6時間で、3回の短期コース。
基本のコンセプトは、機械類を使わずに手縫いで革の靴を作る。

初回は、靴の歴史と型紙の取り方を教わった。
3回しかなくて、しかもちくちくと手作業で一足の靴を作るのに、随分のんびりだ。
講師は現役の手作り靴職人。いわゆるオーダーメイドの靴職人。彼は手縫いではもちろんなく、ミシンやその他いりいろな機会や道具を駆使して靴を作る。

彼のアトリエを見学したとき、なかなか楽しげに靴作りの苦労や楽しさを語ってくれた。が、どうも先行きの暗い話ばかりが出ていたのが気になった。
最近の靴作りの思想は、工業的で、安く早く簡単に。おかげで粗悪な靴が多く出回りすぎてる。
良い革を仕入れる先が年々歳々減ってきている。
靴型をつくる良い職人がいない。
まあ本当の職人になろうという人は多分このクラスの中にはいないのだろうけど、初回にそんな話をしなくてもよいだろうに。とはいえ、それがおそらくこの講師の性格なのだろうなと、彼の話を聞くにつけ思った。
まじめに靴作りをやるから、どうしても廃れ行く業界を嘆く言葉でる。もしかしたらこの講師が誰よりも、12人の受講生の誰よりも、本物の靴職人を育てたがっているように思えた。

それはそれとして、なにかの作られる舞台裏を見るのはやっぱり楽しい。
靴を見て、その内部に仕込まれている構造が想像できるようになるのは、なにか今まで知らなかった新しい扉を自分の中に持つようで、嬉しい。